子供たちのカルタは「アートのお手本の様」

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根本千尋さん
東京造形大学造形学部3年
イギリス・2011年2月参加


今回のコミュニティーインターンで、教育や、地域活性化等の分野に触れる機会を得ました。どちらも大変興味深く、また活動を通して考えさせられたことが多々あり、実りの多い体験をする事ができました。レポートにおいて何を中心に書くかということには頭を悩ませましたが、今回は参加者の中で唯一の美大生ということでしたので、子供たちの絵を見て感じたことに重点を置き、活動を美術方面からの視点を持って考察してみようと思います。


「つまらない絵を描いてしまった」

絵札づくりの当日に、欠席した生徒が出たために、絵札を作る機会がありました。私の専攻分野は建築、家具なので、絵を描くときは大体が設計図やデザイン案を描くときになります。特に設計図はそのまま作品になるようなものなので、いつもなるべく実際に近いものを、という気持ちで描いています。そのため、私は絵札に絵を入れる際、当たり前に、与えられた見本の写真にできる限り忠実に絵を描きました。

子供たちは私の絵を見て上手だと褒めてくれました。写実的には描けていたのだと思います。しかし私は子供たちの描いた絵をみて、それが私の絵などよりとても良いものだと感じました。そして私はなんてつまらない絵を描いてしまったのだと後悔しました。なぜなら、子供たちの絵が、写真の題材と似ていなくとも、題材の特徴をとらえた面白い絵だったからです。

そこで、写真のような絵を求めるのなら、あえて絵を描く意味がないことに気付きました。それならば写真をそのまま張り付ければ事は足ります。あえて絵を描くなら、そこには写真では表現できない何かを加えることが求められるはずだったのです。


カルタの絵札-根本さん作成


現場の写真-バイキング船


絵には、子供達そのものが表現

私の見た子供たちの絵には、子供たちそのものが表現されていました。彼らはまず、写真を見て描くべき題材を脳内に取り込みます。次に、その映像情報に彼らの既成概念と固定概念を練り混ぜて、脳に忠実に動かない筆で絵を描き上げます。完成するのは写真とは少しだけ違う形と、少しだけ違う色で描かれた題材です。私はそれに味があると感じました。現実味がなかったからです。

私は地平線が目線の高さだと知っていて、景色を描くには消失点を設定すれば現実味が増すことを知っています。私は知識と手順に従って絵を描いたのです。私の絵はつまり、知識さえあれば誰かも同じように描ける絵ということです。

しかし彼らは描き方を知らないので、思う存分、現実からずれた彼らの考える世界を表現することができます。彼らの目を通して、思い込みを含み、そこに表現するための器用さが関わって完成した絵札は、まさに1枚1枚が1人1人の個性そのものです。

「絵のうまい大人」ではこうはいきません。知っていることを知らないことのように絵を描くのはとても困難なことだからです。


子どもが描いた絵札。写真を見ることなく、自分の記憶を頼りに描いていました。。


現場の写真。カルタ作成後、写真を撮影。偶然、列車が来てびっくり。


アートのお手本の様

このカルタは、アートのお手本の様だと思います。実際に大学の授業で、”絵画を専攻する人たちに写実的なデッサンが必要なのは受験期だけで、入学した後はそれを忘れて個性のある絵を描けるようにならなければ、画家にはなれないのだ”ということを教わりました。そういう意味では、全ての子供には十分に画家になる素質が秘められているといえると思います。

地域の建物を題材にした、地域の子供たちの個性を反映した郷土カルタは、美術的側面から見ても、優れたものになったと思います。冒頭に挙げた2つに加えて、子供の絵という大変興味深い分野に触れることができ、とても嬉しく思います。