書道の授業を通してみる、イギリス児童にとっての日本語

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鹿島萌子さん
立命館大学大学院先端総合学術研究科
イギリス・2013年9月参加


今回の海外インターンシップで、私は事前研修での担当分けのとき自分から立候補し、「Japanese writing& Calligraphy」の担当となりました。その理由として、私の興味関心が、一つに他文化圏の子どもたち、つまり日本語にあまり触れたことのない文化社会で生きる人間はどのように日本語に接するのか、二つ目に、そのような子供が日本独特の文化のひとつである習字/書道をどのように行うかにあったためです。

私は、事前研修前までは、ただ生徒たちに日本語を習字で書かせることだけを考えていました。しかし事前研修を終えてチーム内で話し合い、折り紙とCalligraphyともに「何か形に残るようなことをやろう」と決めました。そしてCalligraphyでも、ただ書かせるのではなく、形に残るものを前提とした文字を書かせようと様々な案を出していきました。その結果、これまで通り「祝」という字はそのまま用いることとなりました。そして、「形に残るもの」としてカードを作ろうと私たちは考えました。その理由としては、イギリスはカード文化であるため、生徒たちにとってもカードはなじみがあるだろうと考えたこと、「祝」(congratulation)が両親・友人・親戚など誰に対しても使用することができると考えたからです。「祝」という字以外を書かせることも最初は考えていましたが、「カードにする」ことが最終目的になったとき、「感謝」や「おめでとう」とするよりも一字で書ける「祝」がより適当であろうという結論になりました。

この「カード」作品として生徒たちのCalligraphyを残すということは、とてもよかったと2回の授業を通して実感しました。私たちは、早めに終わった子はカードを作って友達や両親に渡せるようにしようと計画していました。また、折り紙を他の授業で使うのならば、Calligraphyのときも折り紙に触れてもらおうと考え、折り紙や千代紙で作った動物や花などをデコレーションとして活用しようと考えました。これは事前研修の話し合いをしたころよりチーム全員で考えていたことです。当初は半紙をそのまま台紙に貼り付けることで大きめのカードを作ってもらおうと思っていましたが、現地での準備段階で使用する筆や折り紙の残量を考慮したとき、厚手の画用紙を半分に切ったA5に近い大きさのほうがいいだろうということに落ち着きました。初回の授業では時間の配分がうまくいかず、カードまで進むことができませんでした。そのリベンジもかねて、初回の授業の反省点を踏まえて二回目の授業に臨みました。本番の本紙に入る前に、早めに終わった生徒はカードを作ることができることを伝え、見本として作っていたカードを見せたときの生徒の反応がとてもよかったことが強く印象に残っています。その分、カードを早く作ろうとした生徒も多く、私たちから見て、ちょっと雑に書いてしまっているなと感じる生徒がいたのも事実です。ただ、それまでの間に飽きてしまった子が再度やる気になれた(なったように見えた)のは、やはりカードとして形に残るものを作れると分かったからだと思います。デコレーション用として用意したピカチューやロケット、ハート型の折り紙や千代紙で作った切り花も、カード作りに貢献していたと思います。最初練習で書いていたときは恥ずかしがって見せてくれなかったけれど、デコレーションを施したカードにしたことで自ら自信満々に見せにきてくれる生徒もいました。その笑顔は今でも忘れられません。

私たちは授業の流れは次の通りです。パワーポイントを用いながら、まず私たちが日本語には平仮名・カタカナ・漢字があることや小学生は漢字を約1000字学習することなどを紹介したあと、生徒はそれぞれの名前をカタカナで書いて練習します。これがJapanese writingの授業です。生徒がカタカナを練習している間、次のCalligraphy の準備をします。Calligraphy の授業では、書いてもらう漢字「祝」の成り立ちや意味、書き順を紹介したあと、墨と書道筆を実際に使ってもらいました。
生徒の日本語への接し方は、私の目から見るととても興味深いものでした。生徒のなかには自身の名前をカタカナでワークシートに練習した後、空いているスペースに練習する生徒もいれば、別の紙を机のなかから取り出し、そこに練習する生徒もいます。ただ驚いたことに、多くの生徒が自分たちの腕に名前を書き始めたのです。なかには私たちに平仮名の書き方を聞き書く生徒もいれば、私たちの名前を書いてくれるように頼んでくる生徒もいました。それは私にとってとても意外な行動でした。

おそらく彼らは日本語(カタカナ・平仮名)を一種のタトゥーのデザインとしても受け止めていたのだと思います。イギリスでは多くの人が腕や足、時には背中などにタトゥーを入れています。日本ではタトゥー(あるいは刺青とも呼ばれます)は反社会的なものであり、タトゥーを入れている人は冷ややかな目で見られることが少なくありません。しかし、イギリスをはじめとする海外では、特に若い世代とってタトゥーは一つのファッションであり、入れていても白い目で見られることはありません。生徒を迎えにきた保護者のなかにもタトゥーを入れている保護者は少なくありませんでした。また、そのタトゥーには多くの種類のデザインがあり、日本語もその一つです。実際に入れている人をバスのなかなどで見かけたりもしました。日本人も多言語の文字は一種のデザインとして捉えます。イギリスの生徒は、自分の名前をタトゥーのように腕に書いていました。このことは、アルファベットとはかけ離れた日本語の文字が、生徒にとってデザイン的であること、そしてそれをタトゥーのように腕に書いたことは、それだけタトゥーという文化が生徒にとって一般的であり、日常に親しんでいることの一つの表れであるように感じました。

また、生徒たちの書道のやり方もとても興味深いものでした。当初生徒たちのなかには「祝」の二画目を、一度横棒をかいたのち左下へ払うのではなく、下から上へと書いたり、五から七画目の「口」の部分を、四角形を描くかのように一筆書きで書いたりしていました。また、墨をblack inkと紹介していたためか、書道筆を絵筆のように持ち、色を塗るかのように字を作っていた生徒もいました。何人かの生徒には書き順を再度教えたり、実際に手を持って一緒に筆を動かして書いたりすることで、書き方をやっとわかってもらえるようになりました。私たち日本人は、字を上から下、左から右へ書くことが当たり前です。しかしアルファベットの文字は、特に筆記体で書く場合、下から上へとペン先が流れる文字も少なくありません。そして多くは一筆書きで文字を起こします。そのため、当初生徒たちは混乱していたのだと思います。ただ私たち日本人は当たり前の書き順・書き方であるため、そこまでしっかりとその混乱に注意を払えていなかったようにも思えます。

今回のインターンでは、自分にとって当たり前であること/ものを、当たり前ではない人たちに教える大変さんを始終痛感しました。「日本文化を紹介する」と考えたとき、日本の文化の成り立ちや歴史的背景などを再度調べ、そのことをかみ砕いて相手に理解してもらおうとします。日本の文化がイギリスの文化と違うことは多くの書物などに書かれ、明白なこととなっています。しかし、文字の書き方や墨への接し方、そのほかにも、折り紙の角と角を合わせることなどは、当たり前のこととして私たちの身に沁みついているため、現地に行って実際に生徒の様子を目で見て疑問に思わなければ気づかないこと/わからないことであり、書物において明白に文字化されていることではありません。そして、自分たちが当たり前だと思っていたものが日本のなかでしか当たり前ではないと気づいたとき初めて、日本の独特さを感じ取り、自分の言葉でわかりやすく発信しようと行動を起こしていくのだと思います。

海外に行くことは異文化を理解すると同時に自国の文化を再度認識することにもなるといわれます。確かにその通りだと思います。今回インターンに参加して、それまで意識していなかったカルタの文化を再度考えるようになりましたし、現地の学校の授業風景や先生が生徒を静かにさせるときに手拍子を用いるなどの体制を知ることができました。また、イギリスの子どもたちが日本をどこまで知っているのかを、生徒たちとのコミュニケーションを通して確認することもできました。ただ、それはすべて私たち自身が目の前にある光景に疑問を持って初めて気づくことであり、疑問にもつことが再度考える切っ掛けになるのだと思います。そしてただ現地に行って、子供たちと接しているだけでは疑問に思うことにならず、いろいろな方向へ自らアンテナを張り、情報を受け止めることで疑問は湧き上がってくるのだと思いました。

当初は不安だらけの3週間でしたが、ともに過ごしたチームの友達に恵まれたことや現地のことをよく知り、様々な配慮を図ってくださった運営者の方のおかげで、とても有意義な3週間を過ごせたと思います。この期間に考えたこと、感じたことを忘れずに、今後に生かしていきたいと思います。